煎茶の急須が、やっと、見つかった。
私が通う大好きな茶房は、自分でお茶を淹れるスタイル。そこと同じ急須が欲しかった。
茶房には、もちろん同じ急須が売っている。買おうと思って、販売用の急須を手に取ると、何だかいつもと違う。いつも茶房で使う急須と、見た目は全く同じなんだけど、手に取ると、明らかに違う。
お店の方に聞いてみると、茶房の急須は清水焼のもので、今では作っていないため、販売用は同じカタチで有田焼のものをご用意しています、とのことだった。
有田焼の急須も素敵。美味しく煎茶をいただける。
けれども、私はどうしても、茶房で使っているものと同じ、急須が欲しかった。
器の肌の白が違う。手で持った“感じ”が違うのだ。同じカタチなのに、なぜこんなにも違うのかが、その時私にはわからなかった。
あのカタチで、清水焼。
ネットをどれだけ探しても、ない。雑貨店やお茶屋さん、古美術店、作家さんの個展など、ありとあらゆる場所で探したけれど、そもそも急須ってのがほとんど売ってない。さらにあのカタチが売ってない。清水焼となると、もう皆無。
探し始めて、3ケ月くらいたった頃、京都・寺町通りを歩いていたら、たくさんの急須が並ぶお店を見つけた。吸い込まれるように入ると、そこは老舗のお茶屋さんだった。店の扉は開け放たれ、敷居の低さが嬉しい。観光客もどんどん入ってくるし、お店の方はその対応に忙しそうだった。
本当にたくさん、見たことのないデザインの急須が、壁棚一面に、ズラーーーっと並んでいた。
しかし、やはり、あのカタチの急須がない。やっぱりかぁと諦めモードのまま、ダメ元で、たまたま側を通った店主にお聞きした。
「清水焼の、平たくてまっすぐな取っ手のついた、煎茶用の急須を探しているんですけど...」
「清水焼...、ですか...」
これまでの経緯を話すと、店主はウンウンと聞いてくれて、棚から小さな湯呑を3つ、私の前に並べた。
「この三つは、産地違いの、同じカタチの白い湯呑。あなたが探しているものと、手で持った“感じ”が同じものはありますか?」
それを順に触っていくと、最後の一つが、ピッタリその“感じ”だった。他とは違う、探していたソレ!
「それは清水焼。そして清水焼のその職人の手でしかその薄さを出せない。触るとその薄さがわかるでしょう? そして軽い。薄くて光を通すから、白の色も違うでしょう? 手仕事ならではの表面の微細な凸凹も、清水焼ならでは、です。あなたが探していたのは、その個性です。」
「そして、カタチですが、あなたが探しているカタチは、おそらく本当に少ない。私が知っている中でも、一軒のお茶屋さんでしか扱っていないと思います。元々、煎茶急須というのは手の平に収まるほどのサイズで、取っ手がないんです。それを多い人数でも淹れるサイズにちょっと大きくして、注ぎやすいよう取っ手をつけた、あなたが探しているカタチは、そのお茶屋さんにしかないんです。」
ものすごく、腑に落ちた。店主が言った一軒のお茶屋さんは、私の理想の急須で淹れてくれる、大好きな茶房だった。
「うちには、取っ手のない煎茶急須ならありますが。」
コロンと愛らしい手の平に収まる急須達。白い一つを手に取ったけれど、さっき湯呑で実感した“感じ”がなかった。
「さっきの湯呑と同じ清水焼はありますか?」
店主は少し考え、「あれ、そういえば昨日...」そうつぶやいて、店奥から貼箱を出してきた。
「もう一サイズ小さめですが、ちょうど昨日、頼んでいたのが届いていました。なかなか入ってこなくて。」
そう言って、紙で幾重にも大切に包まれた小さな急須を、出してくれた。
私はそれを手にのせた。そう! この“感じ”。ずっとずっと探していた“感じ”の急須だった。即決!
もちろん、湯呑も一緒に迎えましたよ。
ネットでは、絶対に確かめることのできない、感覚。
それは、器の肌。自分の肌に合うかどうか、そして茶種や味・飲み方に合うかどうか。
すごく楽しい。ただ、お茶を一杯いただくだけのこと。そのために注ぐ労が楽しいし、人との出会いが不思議で面白い。
私の急須探しにお付き合いくださり、発見まで丁寧に導いてくださったお店は、蓬莱堂茶舗さんです。
頼りになる大好きなお茶屋さんが、また一つ増えました。
蓬莱堂茶舗
京都市中京区寺町通り四条上る(東大文字町295)